「父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」と新共同訳は訳します。今までわたしはこれは洗礼の文言を定めた、と理解していました。
しかし原語では「父と子と聖霊の名の中へと入るために」です。目が開かれる思いがしました。「名」とは神さまの中にある関係性です。つまり洗礼で水の中に入るように、神の父と子の関係の中へ、聖霊によって入れて頂ける。そして今度はわたしたち自身が、イエスの父の子供たちとして、聖なる父子関係を生きていける。聖霊を受けて、イエス様の隣で、全能の神を「アバ、父よ」と呼ぶ子供になれる。そしてイエスの生きられたように、どんなときも、罪をも死をも超えて、愛する父に祈って生きていけるんだ、と。
洗礼とは聖なる父子関係に、聖霊がわたしたちを入れてくださること。だから、こんな幸せなことだからこそ、全ての人に勧めるべきです。
この父と子の人格的な関係、これこそ三位一体の意味です。三位とはつまり、神は一人じゃない、三人の関係性だということ。「三人格」です。決して孤高の一人の存在ではない。三人格が、それぞれ絶対の自由をもって互いを愛する父子の霊的な一体関係、それが神です。この三つの人格は決して消されることのない存在なのです。
この三人格を一つに生きる神に似せて、わたしたちは造られ、救われました。だから、わたしたちもまた一人一人にしかできない人格的な生き方で他者を愛します。そして父と子の神の人格的交わりに、霊によって入れて頂くのです。