イエス様の昇天の後、使徒達から始まって私達に至るまで、聖霊の降臨を祈り待つ主日です。ここで聖霊は「栄光の霊」と呼ばれています。しかし、この「栄光」という日本語、どうもピンときません。「過去の栄光」とか、高校野球の「ああ栄冠は君に輝く」とか、誰もが認める成功や、世俗的な名誉を連想してしまうからです。
今日まで連続して聴いてきたペトロ書は「苦しみにあるキリスト者」の上に「栄光の霊がとどまる」と締めます。だから「あなたに幸いあれ」と宣言します。成功者に栄冠が輝く、とは真逆です。真っ直ぐに生きようとするがあまり悪口や誤解や侮辱を受けて苦しい、しんどい、、、そんな人の上に神はとどまるんだ、と。
この「とどまる」の語は、旧約の時代から主なる神の出現に用いられ、神の臨在、つまり「神がわたしの近くにいてくださる」ことを表しました。栄光とはただ輝くだけでなく、それが照らす人と共にとどまる神の存在のことなのです。
だから「栄光の霊がとどまる」とは、まさに神が共に居てくださる、という意味であり、人間的に見た成功や幸せではありません。逆に、どう見ても失敗や呪いのようにしか見えない暗闇で、神の存在は信頼する者の上に降り、一緒にとどまってくださる。そのようにキリストの霊は苦しむあなたの上にとどまってくださる。