「復活させられたキリストと二人のマリア」ウィリアム・ホルマン・ハント 1897年 南オーストラリア美術館、アデレイド |
それはわたしたち女衆にとって飾りけのない、毎朝の営みの言葉でした。イエスさまは朝、一番早く祈り始め、済んだら、わたしたちが支度をしておいた朝ご飯に来られる。そして「おはよう」と静かに、優しく沈黙を破られるのでした。
その先生が、死んだ。弟子に見捨てられ、十字架で苦しみ、死んだ。確かに墓に葬られた。「もうあの人は帰ってこない、、と頭では分かっている、、、でも、できるならもう一度だけ、会いたい、、、。」そんな思いから逃げて、死の現実を受け止めようと墓に来たのでした。わたしたちは確かに悲しむため、死を見つめに来たのでした。
そこに地震が起き、天使が現れ「主は復活させられた」と言ったのです。そして「兄弟に伝えよ」と言われて走り出した時、イエスさまが正面に立たれて、あの世界で一番懐かしい声で言われたのです「おはよう」。何気ない日々が、死の悲しみに打ち勝って、帰ってきた。しかも、「これからは世の終わりまでずっと一緒だ」と。
この「おはよう」は元来「喜べ」という意味です。イエス様が現れて、会いに来て下さり、未だ死を見つめて恐れるわたしたちに「喜べ」と静かに、しかし強く強く語りかけて下さるのです。
十字架のイエス様は復活した。だから今日もここで、一人一人の生活の中で、イエスさまがあなたに現れて下さる。すぐにでも「おはよう、喜べ」とあなたに朗らかに語りかけて下さる。