わたしの主、キリスト•イエスを知ることのあまりの素晴しさに、、、 (フィリ3.8)
復活祭への準備の大斎が始まる前に、光の中で一つの約束が与えられます。「イエス様と一体になったら、どんなに苦しい人生でも、必ず復活の光に照らされる、必ず死から命に達する。」
この復活の力にあずかる条件はひとつだけ。このイエスという存在に絶対的に頼ること。
わたしたちは色んな物や人に頼って生きています。安らかな家族の寝顔、遠くからの友情、同僚の励まし、自分の努力で達成した経験、、、。それらの足がかりに頼らなければ、すぐに弱く不安になってしまうのが、わたしたち人間です。
しかしパウロが見つけたのは、それらのどんな「頼りがい」をも遥かに超える、絶対的に頼れる存在でした。イエス様こそ自分の人生の「主人」であり、絶対的に頼れる存在、堅く結ばれた存在です。このあまりに素晴しい「頼りがい」に比べると、他の一切は「塵あくた」に見える。、それほどにも恵みに満ちている関係なんだ、と。
この恵みを、わたしたちは十分に受け取っているでしょうか。自分の小さい世界の中で完結し、勝手に弱く不安になっていないでしょうか。
あなたは一人じゃない。見えないイエスさまの、目に見える体となった。そしてイエス様は、あなたの人生をご自分のものとして、山の上の輝きも、十字架の苦しみも、死を超えた復活の光も、ぜんぶ一緒に生き抜いてくださるのです。