今日は2月2日被献日です。降誕日に出産した40日後、マリアは神殿に参り、旧約律法にそった産後の清めの献げ物と、長子の贖いと聖別の献げ物をします。マリアとヨセフが律法を守ることを通して、聖霊はイエスを神殿に連れて来たのです。それは一つの出会いのためでした。
老人シメオンは主から任務と約束を与えられた人でした。「お前は生きて救い主を見る」。彼はこの「お言葉」に忠実に生きました。夜警が忠実に見張り続けるように彼は待ったのです。降臨節の「待つ信仰」を地で行くような祈りの生涯。疑いや諦めの誘惑にさらされる闇夜もあったこでしょう。しかしそれでも彼は任務を遂行し続けた「正しい人、信仰のあつい人」。この人に、死のタイムリミットが迫っていたのです。
祈りの生涯によって研ぎ澄まされた彼の心は、イエスを見た瞬間に悟ります。「ああ、この赤ちゃんこそ、主の約束された救い主。ああ、嘘ではなかった。ああ、主は約束を守られた。もうこれ以上何も待つことは無い。わたしは平安に逝くことができる。神さま、ありがとう。」
神の救い主を、生きて自らの目で確かに見る、、、この喜びはどれほど大きいことでしょう。この喜びのために、シメオンのようにわたしたちも毎週、聖餐の祈りを重ねます。祈る自分の存在で、魂の目で、確かに救い主と出会うために。