「賢く、知恵のある人になりたい」と思うのは自然なことです。だって人生で失敗したくないから。だって人生で成功したいから、、、。
しかし、今月読み続けて来たパウロの手紙の結論は反対です。「わたしにはいくらかの知恵がある」と思い込み、また「自分はこの知恵でなんとか生きていける」と思い上がるコリントの信徒らにパウロは訴えます。「愚かな者となりなさい」と。「本当の幸せは、自分の入れ知恵でなんとかあくせくして獲得するものじゃない。完全に自分を神さまの前に放棄して、十字架のキリストの下で、神さまに自分自身の全てをあきらめて初めて、新しい命が与えられるんだ。」
どんなこの世の知恵にも流されず、もちろん人の評価や自分自身の損得勘定にも支配されず、十字架のキリストだけに支えられて生きる。そんな「聖なる愚か者」になりなさい。そうすれば「すべてはあなたのもの」なのです(21節)。
イエス様の「右頬を打たれたら、左頬をも差し出せ。敵を愛せ」という強烈に常識外れの生き方もまた「愚か者」の勧めです。出来るか出来ないか、ではなく、自分の損得の知恵を捨てて、ご破算にして「愚か者」になって、十字架の愛に従う。そうすれば必ずあなたは神を見る。本当の幸せが与えられる。と約束されています。
これは神から、自分を超え出るようにとの「お誘い」なのです
どんなこの世の知恵にも流されず、もちろん人の評価や自分自身の損得勘定にも支配されず、十字架のキリストだけに支えられて生きる。そんな「聖なる愚か者」になりなさい。そうすれば「すべてはあなたのもの」なのです(21節)。
イエス様の「右頬を打たれたら、左頬をも差し出せ。敵を愛せ」という強烈に常識外れの生き方もまた「愚か者」の勧めです。出来るか出来ないか、ではなく、自分の損得の知恵を捨てて、ご破算にして「愚か者」になって、十字架の愛に従う。そうすれば必ずあなたは神を見る。本当の幸せが与えられる。と約束されています。
これは神から、自分を超え出るようにとの「お誘い」なのです