眉唾ものの様々な霊的体験を誇り、教会を分裂させていたコリントの信徒達に、牧者パウロは「わたしと出会った日を思い起こせ」と原点回帰を訴えます。あの日パウロは大した説得力も魅力も無かった。それどころか、たび重なる宣教旅行の困難と失敗で「わたしは衰弱し、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。」(1コリ2.3)
しかしパウロは何か分かり易く自分を買ってくれるを求めませんでした。嘘の作曲家、佐村河内守に日本中が騙されたのは「耳の聞こえない現代のベートーベン」というとても分かり易くて、支持し易かったからでしょう。人の知恵は、都合良く人をも自分をも騙すものです。
しかし神の知恵は、決して人の思惑通りにならない形、十字架に付けられた救い主の姿です。パウロはこの「十字架に付けられたキリスト」を伝えるために、同じように貧しく怖く不安なままで、十字架の救いを宣言したのです。
人間的には良い所は何も無かったのに、パウロは信仰の神秘を宣言した。聖餐式でのように「キリストは死に、キリストは甦り、キリストは再び来られる、それもあなたのために」と。それを聞いた信徒らは、十字架に付けられたキリストのうちに神の偉大な働きを信じた。信じたところに聖霊が働き、罪は赦され、人は救われた。
信仰の原点、十字架のキリスト、に戻ろう。
しかしパウロは何か分かり易く自分を買ってくれるを求めませんでした。嘘の作曲家、佐村河内守に日本中が騙されたのは「耳の聞こえない現代のベートーベン」というとても分かり易くて、支持し易かったからでしょう。人の知恵は、都合良く人をも自分をも騙すものです。
しかし神の知恵は、決して人の思惑通りにならない形、十字架に付けられた救い主の姿です。パウロはこの「十字架に付けられたキリスト」を伝えるために、同じように貧しく怖く不安なままで、十字架の救いを宣言したのです。
人間的には良い所は何も無かったのに、パウロは信仰の神秘を宣言した。聖餐式でのように「キリストは死に、キリストは甦り、キリストは再び来られる、それもあなたのために」と。それを聞いた信徒らは、十字架に付けられたキリストのうちに神の偉大な働きを信じた。信じたところに聖霊が働き、罪は赦され、人は救われた。
信仰の原点、十字架のキリスト、に戻ろう。