ヨセフとマリアとイエスの「聖家族」は、大聖堂や宮殿のきらびやかな生活をしませんでした。むしろその反対側、権力を握る王から命を追われ、逃亡生活を繰り返す難民家族でした。シリア難民の姿の中に、エジプトにナザレにと逃げ回った聖家族の姿が重なって見えてきます。
マタイ福音書では彼らの家はベツレヘムで、東の博士らはそこに拝みに来ました。独裁者ヘロデ王がベツレヘムの幼子を皆殺しにします。
しかし神の子を救おうと、天使はヨセフに夢で現れ「エジプトへ逃げよ」と告げます。神が共にいるしるしとして、未婚の妊婦マリアとその子、イエスを受け容れたヨセフは、再度ここで主に従います。そして出エジプトのように(方角は逆ですが)夜陰に乗じて大急ぎで、生まれて間もない赤ちゃんの命を抱えて逃げます。
命が狙われる旅。どれだけ心細くどれだけ不安で、だからこそ、どれだけ必死に主の導きを祈ったか。表紙絵のマリアの視線は厳しく前を見つめたまま、赤ちゃんを抱きます。イスラエルに帰った後も、命の危険を感じて異邦人の地ガリラヤのナザレに寄留した家族。この寄る辺無さから生まれる絆が「聖」なのです。イエスと共にいるがゆえに苦しいこともある。しかし父なる神は、子なる神イエスと、イエスのうちに神の子となったあなたを必ず守り抜くのです。