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「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」マタイ2.13 (A年顕現後第一主日•主イエス洗礼日)
2014/01/12
私が成人洗礼を受けようとした時、それはまるで自分の人生を捨てて「出家する」気分でした。クリスチャンとして、自分で自分の人生を変えていく宣誓式のように理解していました。
それは「悔い改め」という洗礼の意味の一つですが、しかし教会生活の豊かさを受けていく中で、洗礼理解が変わっていきました。洗礼の本質は人間が何かをすることにはありません。それが今日の福音書、主の洗礼の場面に表されています。洗礼とは「お前はわたしの愛する子だ。何があっても、どんなときでも、たとえ死んでもわたしの愛する子だ」という神の宣言を一方的に受けることです。それはどれだけ幸せで、どれだけ嬉しいことか。
だからこそまだ信仰告白できない幼児も、洗礼を通して神の愛の宣言と、聖霊の導きを受けることができるのです。人間が神を選ぶよりも先に、神が人を選んでその愛を宣言するのです。
どんな人にも、全ての人間に神は「あなたはわたしの愛する子」と宣言したい。だからこそ「全ての民に父と子と聖霊の名による洗礼を授けよ」と復活のキリストは命令しました。(28.19)
洗礼は、神が人を聖霊によって神の子と宣言し、そしてイエスと一体になって父のみ心に従って新しい命を生きていく始まりです。だから自分の、家族の洗礼を、自信をもって喜びましょう。人に勧めましょう。子どもに授けましょう。これは人を超えた神の働きと宣言なのですから。