1月2月は「霊的な自惚れが強い」コリント教会あてにパウロが書いた手紙が読まれます。「十字架の主に帰れ」と叫ぶ使徒のうちに働く神の言葉に、今、わたしたもまた、耳を傾けます。
今日はその始めの挨拶の部分ですが、そこで既にパウロは深い真実を宣言しています。しかも、それを「感謝の祈り」として表しています。わたしたちの聖餐式でも、神とわたしたちの関係は「感謝聖別」の祈りで明らかにされます。
今からコリントの信徒達を叱って、カツを入れようとしているのに、まず第一にパウロは感謝します。皮肉ではなく心からの感謝です。自分が何かを受けたことへの感謝ではありません。
そうではなく、神があなたがたに恵みを与えて、今も生きているイエスの生涯によって、あらゆる言葉、あらゆる知識、あらゆる賜物を与えて下さった。そしてキリストとの「交わりに招き入れてくださった」と感謝しているのです。キリストと結ばれる、というこれ以上無い幸せを神はあなたに与えた。キリストとの関係のなかで、あなたは生きられるように、神があなたのうちに働いた。だから「神さま、感謝します」と。
ここに私心はありません。問題続きの関係にあっても、ただ相手のことを思って、相手の内に神が働いたことを、思い起こして感謝する。
この感謝が聖餐の心です。信仰の交わりです。互いのうちに働く神を思い起こし、感謝しよう。
今からコリントの信徒達を叱って、カツを入れようとしているのに、まず第一にパウロは感謝します。皮肉ではなく心からの感謝です。自分が何かを受けたことへの感謝ではありません。
そうではなく、神があなたがたに恵みを与えて、今も生きているイエスの生涯によって、あらゆる言葉、あらゆる知識、あらゆる賜物を与えて下さった。そしてキリストとの「交わりに招き入れてくださった」と感謝しているのです。キリストと結ばれる、というこれ以上無い幸せを神はあなたに与えた。キリストとの関係のなかで、あなたは生きられるように、神があなたのうちに働いた。だから「神さま、感謝します」と。
ここに私心はありません。問題続きの関係にあっても、ただ相手のことを思って、相手の内に神が働いたことを、思い起こして感謝する。
この感謝が聖餐の心です。信仰の交わりです。互いのうちに働く神を思い起こし、感謝しよう。