「夫ヨセフは正しい人であった。」 マタイ1.19 (A年降臨節第四主日)

2013/12/22


 婚約者が知らないところで妊娠してきた。そんなスキャンダルを前に、ダビデ王の血をひく真面目なユダヤ人ヨセフは必死に祈り、旧約聖書をひもとき、神に答えを聞いたことでしょう。
 旧約の掟に文字通り正しく従えば、マリアを石打ちの刑になければならない。しかし、縁あって婚約までしたマリアの身の上を思い、ひと掬いの愛情から、死刑になる前に「ひそかに縁を切って」命だけは救ってあげようと決心したのでした。社会の義務を果す中でも、愛に基づいた行いをする人こそ、本当の意味で「正しい人」。
 この本当の正しさを知る人ヨセフに、神は更なる試練と選択を夢の中で示します。「離縁するな。マリアと聖霊によって身ごもった子を、お前の子として養子にし、名前をつけ、愛して育てなさい。この子は『神が共にいる』しるしとなり、民をその罪から救う存在になるから」と。
 人間的には既に決心したはずのヨセフの心を神は押し広げます。彼は自分の思いや計画を捨て、マリアとその子を神の計画として受け容れていきます。神への従順によって受け容れられない事態をも、心配や不安もろとも、受け容れていく。これは苦悩の信仰者の偉大な決心です。
 この養子にする決心によってイエスは、ダビデ王の血を引く救い主として生まれます。苦悩を経て、神へ従っていく信仰者の決心を通して神は働く。決心していく心に神の救いは訪れる。
 旧約の民が受け継いだ神の約束は「神は来てあなたたちを救われる」(8)。イザヤは荒れ野に水が涌き出て花が咲き、見えない人や聞こえない人が癒される奇跡のようだ、と表現します。
 この預言を信じて何百年と待って来たイスラエルの民の最後が洗礼者ヨハネです。ずっと待ち続けて来たからこそ「来るべき方はあなたでしょうか」とイエス様に聞きます。「待つ」信仰には、一抹の疑いとその克服が、何度も繰り返されます。そしてヨハネ(とわたしたちは)イザヤの幻で言われた以上の奇跡を目の当たりにし、信仰が問われます。「このイエスの存在のうちに、イスラエルの神の約束は成就した」のか否か、と。
 確かに、飢え渇いた民に神はご自身を降り注ぎ、救いを成就されました。聖餐のようには肉となり、飢えた民の間に宿られたのです。
 しかしそれは人間の思い描いた救いを遥かに超えた形ででした。洗礼者ヨハネは殺され、イエスは十字架で殺される、という躓きの形によって、待ち望まれた救いは達成されたのです。人間的には全てが躓きとなった後の復活によって。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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