今日は司祭団の一員としてのわたしを主教様がこの教会の牧師に任命されます。わたしはこの牧者の務めを「本当にしているか」と反省し、悔い改めます。そして逃げずに果すと誓います。
でもそれは決して、牧師一人が個人的な能力で何かを達成することではないのでしょう。「この地でのわたしとあなたの務め」として主教様と一緒にその代理として働くよう任命されます。もう一つ言えば主教様とその教会は、今もここで働く唯一の大牧者イエス様から派遣され、その働きに参加しています。一人ではないのです。
このことは、一人の牧師の自分勝手を許さない厳しさと、一人では出来ないことを神が成して下さる恵みの両方です。人を通して神が働く。
「このわたしが何とかしてあげないと、、、」と思い込んで人に接すると失敗します。牧者ができるのはその人の内で、自分でも気づかない程近くで、今も働くイエス様に祈りの耳で聞きいることです。そんな良い牧者との出会いは生きていくための恵みです。特祷はそう祈ります。
「似姿を回復して下さった。」神が人となってわたしたちの大切な神の似姿を呼び起こし、癒し、取り戻す。それが本来の大牧者イエスの働きで、わたしたちは皆それぞれの立場でこの働きに参加しているのです。羊飼いイエス様に頼り、恵みの上に更に恵みを受けて参りましょう。