「あなたたちは、心の静けさのうちに働き、自分のパンを食べなさい」そう訳せる言葉です。
小さい頃から慌てん坊でせっかちなわたしは、一つのことにすぐ熱中し過ぎてしまいます。そのおかげで達成できたこともありますが、「日々の働き」では焦りは禁物です。なんでもかんでも、その場で一気に片をつける訳にはいかないのです。人間関係の中での働き、毎日の生活から生まれる家事、祈りの業においては特にそうです。焦れば焦るほど失敗し、お茶碗を割ったり、目的を見失ったり、、、そして落胆してしまいます。
まして「世界の終わりだ!!」と怯えるルカ教会や、「地道に働くなんて無意味だ!!」と浮き足立つテサロニケ教会の信徒の焦りはどれほどか。「余計な働き」ばかりしては、空回りしています。
うろたえる兄弟姉妹に、使徒パウロは心の静けさを勧めます。「地道に、心の静けさのうちに働いて、一日一日、自分の手元に与えられたパンを感謝して、神さまに生かされたらいいんだ。」
信仰生活では「どれだけ働いたか」より「どのように働いたか」の方が大切です。日々、自分に与えられた仕事を、神の静かな心のうちに働く。そして、一日の終わりにはその日の働きとその日の糧を感謝して頂き、平和な心で眠る。
働くこと、それ自体が神の恵みです。祈りを伴う労働は慌てた心を癒す。祈り働け、主と共に。