2週間前の横浜の踏切で、村田奈津恵さんは男性を助け、自分は電車に轢かれて亡くなりました。家族の悲しみは計り知れないものでしょう。奈津恵さんは助手席で「助けなきゃ!」と叫び、父親が「間に合わない、行くな!」と制止するのを振り切って踏切に入ったそうです。
感謝状や勲章を送り「美談」にしたい人がいました。献花し祈る人がいました。または、心なく「無茶して命を捨てたんだ」と言う人も。
しかし奈津恵さんが動いた理由はただ一つ。「助けたい」と思う自分の心に忠実であるためだったと思います。誠実で優しい人が「あの人を助けなきゃ」と思うとき、自分の心にウソをつけない。ウソをつけば自分自身でなくなってしまう。後悔する。それは自分の心に真っ直ぐに生きる人の「できないこと」なのです。
それは弱さにもなります。人を愛そうとするがゆえに傷つくことから逃げられない。しかし、この弱さのうちにこそ、人を愛して生きる偉大さが現れます。弱さの中で輝く光です。
あなたが神に誠実でなくとも、神は誠実にあなたを愛して続けます。裏切られ傷ついても、あなたを救い出そうとします。救い主とは、自分にウソをつけぬがゆえに、苦しみを受けながらも人を救う存在です。人情の塊なのです。