人生はよく旅に喩えられます。それもツアー旅行ではなく、そのつど決断が迫られる個人旅行です。使徒書では、アブラハムの旅路にそんな信仰者の人生が重ねられています。
この旅には「行き先も知らずに出発する」(11:8)不安があり、「地上ではよそ者である」(11:13)寄るべなさもある。でも、それでも、ただ主が導いて下さると信じて、約束の地を「遥かにそれを見て喜びの声を上げ」(11:13)、地上では「仮住まいである」(11:13)巡礼者として、一歩一歩、歩んでいったのです。
そして初めは「行き先を知らず」に出発したこの旅が、実は「天の故郷」に向かっていることを知ります。「一体わたしはどこに向かっていくのか」と不安だったこの旅の終着点は、実は、自分が一番自分らしくなれる「天の故郷」なのです。どこか遠い所へと逝ってしまうのではなく、永遠に懐かしい父の御胸に帰っていく、、、それが「この世に死ぬ」主イエスのうちに死ぬ、そして永遠の命に入るということ。
イエス様は地上の巡礼を続けるわたし達と一緒に歩いています。静かに静かに。天の故郷を共に信じて下さる。十字架のような苦しみの中で、わたしたちが弱り果てたなら、足の力となって、わたし達を父へと導き帰えして下さる。さあ自分の旅路を歩もう。主と共に。