「啓示的キリスト」サルバドル•ダリ, 1965 |
夫を失った寡婦が、さらに唯一の希望だった一人息子をも失う。その悲しみが本日の旧約聖書(列王17)にも福音書(ルカ7)にも描かれています。愛する人の死を前に人は泣くしかない。そのあと奇跡物語が続くのですが、しかし聖書は死を前にした人間の無力さをよく知り、むしろ再強調します。人間の限界をよく知るからこそ、それを超える神が働いた時にはそれと知るのです。
この母親の悲しみを体ごと感じ、憐れみに突き動かされて、イエスは彼女の息子を蘇らせて言います。「母よ、もう泣かなくてよい。」まるで死の悲しみまでも背負うかのように、、、。
人間の無力さと悲しみをよく知るからこそ、神は人間の限界を超えた慰めを語ります。死の力の前になすすべもない人間達に、死を超える喜びを伝えます。その「救いの喜び」を使徒パウロは「人によらない福音」と呼びました。
その「幸福の音」とは、命が死に勝った音。神は救い主を遣わして人の弱さを担って死に、しかし復活した。そして今、その復活した命と信じる者は一つになる、死すらも超える。
この福音を信じて復活者キリストと一つになる者には、人間の全ての限界を超えた自由と慰めが与えられる。これを信じるかどうかは、一人一人の意志です。理屈では信じられない。でも信じた者のうちには、必ず神が働く。あなたのうちにも。