ここで「自害」とは、地震で牢が開いてパウロとシラスを逃がした責任をとり、ローマ兵の看守が切腹しようしていることです。この個所の原文は「決して自分自身に悪を行うな」です。
「自害」とまではいかなくとも、この世の力に流されるとき、神に愛されている自分を見失います。気がつけば「自分自身に悪を行ってしまう」ことがあります。人間は誰でも自虐的な一面をもっていて、神の愛なしには、自分を傷つけてしまいます。「罪は熟して死を生む。」(‘コフ゛1:15)自分自身に悪を行うのが死の力です。
この「死の力」に勝った主イエスは、天に昇ってわたしたちの人間性を父に結び合わせました。そして聖霊を送って使徒達を働かせ、わたしたち一人一人に信じるチャンスを与えます。
「救われるためにはどうすべきでしょうか。」救いを求める声は非常に具体的です。そこで使徒は、聖霊による自信にあふれて、イエスとの関係を勧めます。「主イエスを信じなさい、そうすれば救われる」そうしてこの看守は、死から命に呼び出され、導き出され、救われました。
聖霊の働きとはこのように、人がたとえ自分自身に絶望しても、もっと深くその人の命を見つめ、愛し、希望をもって、神の命へと導く働きです。イエス様を通して「あなたは愛されているんだ」と語りかけ、救い出す働きです。