驚くべきことに、こう言ったのはあのペトロです。恩師が宗教裁判にかけられている間、彼は三度「わたしはあの人を知らない」と裏切りました。そして十字架刑の場からも逃げた「一番弟子」です。そのペトロが、イエスと同様に処刑されるかもしれないのに、毅然とこう言い放つことができたのです。なぜでしょう?
それは、復活のイエスの存在に全く新しくされたからです。そしてイエス様の霊を受けて、イエス様の活動の続きを行うように召されたからです。それは「赦しの霊」を受けた使徒達も、また、疑うことで復活の主に出会い、信じはじめたトマスも、同じです。復活のイエス様の存在によって、新しい人間となり、イエスの復活の命を伝える宣教師となったのです。
復活信仰は、非科学的な事に頭だけでうなずくことではありません。復活とは、生きる態度を新しく変えていく「実践」です。「命は死よりも強い。罪よりも、どんな人間の悪よりも強い」と信じて、人ではなく神に従って生きる態度です。人を赦し、死を恐れず、どんな困難にも負けず、復活を証して生きていく。
復活のイエス様の存在は、この「復活の実践」を可能にします。さあ、わたしたちも、この復活信仰の実践者、復活の証し人となろう。