永遠の命を得るように定めらている人は皆、信仰に入った。(使徒言行録 13:45) 復活節第五主日

2013/04/28



 「信仰に入る」前の自分はこう言い返していました。「ウソだ、信じるかどうかは人間が決めるんだ。神か何かが決めるんじゃない!」と。
 実際に、今日の使徒言行録にもあるように昔から今まで「キリストの復活」が述べ伝えられるところはどこでも二種類の反応があります。拒絶するか、信じてその命に与るか、です。
 バルナバはこう宣言します。「あなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しないものにしている。」(13:46)チャンスは誰でもあるのです。原語では「自分で自分を値しない者として裁いている」です。自分で「信じるかどうか」を判断しようとした結果、永遠の命から拒絶される、という裁きを受ける。命を拒絶する者は、命から拒絶されてしまうのです。
 だからといって信じる者も同様に自分の価値判断で「さあ信じよう」と決めるのではありません。それでは自分中心の生き方は変わらない。信仰に入る、とは「神に決めて頂く」ことでしょう。神が「永遠の命を得るように定めた」わたしの人生を感謝して受け取る。そのように生きて初めて、最も自分らしく輝けるのですから。
 他人と比べて「わたしは選ばれた」と高ぶるのではない。復活のイエス様に見つめられて「わたしは必ずお前に命を得させると」とあなたに呼びかける主の声を聴いて、信頼するのです。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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