かえって自分を無にして(フィリピ2:5) 棕櫚主日

2013/03/24

  「磔刑」より、ヴィターレ•ダ•ボローニャ,1335年, 

マドリッド、ティッセン•ボルネミッサ美術館



  
 今日は会衆一人一人が、イエス様の苦しみと死に参加します。棕櫚を携え、受難物語を朗読し、これが自分の物語であると胸に刻みます。

 まず、この受難物語のなかで、わたしたち人間の罪の全てが出現します。そしての罪と悪意を、このイエスという人が受けます。無実であるに抵抗せず、ただ「自分を無にして、父に従って」わたしたち人間の罪の全てを受けます。

 神の似姿そのものが私たちの間に来たのに、わたしたちは自分たちの罪をその身におわせて殺します。わたしたちの強欲、神を無視するプライド、赦せない心、不信仰、裏切り、不従順、、、すべてが現れて、イエスを十字架につけまるのです、「十字架につけろ、十字架につけろ!!」


 「いや、わたしはイエスの死には関係ない」と言い張る人は、その復活にも与れません。


 ただ自分を無にして人の罪を受ける。しかも人を赦し続け、最後まで無実に弱く死んでいく、、、これこそ、神が人間を救う方法だったのです。わたしたちの悪い心を全て自分の内に受け、自分ごと無になって死に、罪自体を滅ぼす。


 だから、このイエス様が死者の中から復活するとき、この人に結ばれた者には、罪を超えた新しい命が与えられます。全てが赦され新しい人生が始まるのです。だからこそ、自分も含めて全人類の罪がイエスを殺した事を認めよう。そして、全人類に輝く復活の命を待ち望もう。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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