イエス様の死と復活にあずかる大斎節の前、教会は「変容」の福音書を聴きます。イエスが山で祈っていると、顔と服が白く輝いた、と。 |
えっ? 「未知との遭遇」? 絵にしてしまうとそうなりますが、その意味は、どんな芸術家の筆をも超えます。「神の栄光」であって「宇宙人イエスあらわる」ではないからです。
この栄光とは、使徒書によると「愛の讃歌」です。「全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える。愛は忍耐強い。」愛を生きる人は輝きます。イエスは最も深く強く愛を生きた人で、それが神の栄光として輝いたのです。
歪んだ愛しか持たない私たち人間を、イエス様は愛されました。罪と死のどん底まで愛し尽くされました。これからイエス様は、十字架につけられるため、栄光に輝く山を降りていかれます。降りていく姿はもう輝いてはいません。それは忍耐する愛の姿です。復活の命に再び起き上がるまで、ただひたすら無実の苦しみを受けて、耐えて、信じ続ける。神の愛なんて全く感じない瞬間も、、、。愛は忍耐強い。
苦しみの前に愛が輝いたのは、まるでイエスを励ますかのようです。「わたしの愛を忘れるな」と。輝くような神の愛を胸に焼き付けて、イエス様は迫る苦しみを忍耐していかれます。
どうか私たちも、輝く愛を胸に刻んで、暗い苦しみの時をも過ぎ越していけますように。