「羊飼いらの礼拝」Bartolome Esteban Murillo, 1646, エルミタージュ
教会は、太陽を崇拝する諸宗教と一線を引くため、「1月1日ではなく、12月25日の八日後に、イエスの命名を祝う」という姿勢です。
でも、ちょっと厳しすぎますね。クリスチャンであっても、この世に生きています。そして年が変わる正月に、神様に古い一年の恵みを感謝し、罪と弱さを赦してもらい、そうして新しい一年の祝福と命とお守りを願います。とても自然で、正しいことですね。そして、辛い出来事、苦しい状況にあった人ほど、新しい年への願いは切実です。
「新しくなりたい」その祈りは、救いを願う心、神を求める心に通じています。当然、何日か過ぎれば切実な心も忘れ去り、また相変わらず古い人間生活が来ます。そこでなんとなく諦めるのが世間一般ですが、信仰者は違う。
聖書が「古い人、新しい人」(エフェソ4)と言うとき、それは時間をいうのではなく、悪くて弱い人間性と、善くて愛に強い神の命との違いをいっているのでしょう。本当に祝福される「新しさ」とは、「神の命」に与ることです。
それは自分が勝ち取るのではなく、神が与えて下さる祝福。年の最後に漢字で命名されるのでなく、年の初めに「イエス」と私たちの一年は命名され、神様のものにしてもらったのです。どうか「新しい命」に与れますように。