これは眼科の話ではありません。これは私達の心の目が開かれ、神をもう一度見る物語です。これはあなたの救いの物語です。
「見えない、何も見えない、 いつになったら見えてくるのか?」目に見える出来事と人間関係のうちに、恵みが見えないとき、心の目は神が「見えなく」なっています。そんな時、ただ心は、耳で聞く御言葉を信じるだけです。
バルティマイは、街の外で一晩待っていました。イエスが近く足音を聞いた時、「今しかない」と叫び求め始めました。「イエスよ、わたしに憐れみを」。常識あるこの世の人達が止めます。でも「聞いてもらえるまで」と叫び続けた。見えないまま、叫び続けたのです。まるで、誰の目も気にせず、気を失うまで叫び続ける覚悟で、ただ自分の心を訴え続けたのです。
絶望寸前の時、弟子の声がします。「元気をだせ、さぁ立って。主があなたを呼んでいる。」どれほど嬉しかったか、全財産であるコートを投げ捨て、見えないまま前に出て、「何をしてほしいのか」という主イエス様に「もう一度、見たいのです」と応えます。そして「あなたの信仰があなたを救った」という主の声かけによって、彼はもう一度見たのです。なにを。
主イエス様の顔を。苦しみの道を歩く背中を。その後ろ姿を見て、付いていきましょう。