三歳になる息子が公園でわたしの方に走って来ます。父親と目が合っているだけで楽しくて、はしゃいで笑って飛びはねて来ます。
そこで他のお兄ちゃんにぶつかって「どてっ、ざあっ」と転びました。「え゛ーん、え゛ーん」と泣き初めます。怪我自体より、目的の挫折にびっくりし、心が折れるんですね。少し見守ったけれど泣き止まないので、駆け寄って抱いて背中を触ってあげます。「痛かったねー、だいじょうぶだいじょうぶ。」そうすれば、すごいですね、子供は5分で立ち直ります。
でも大人がつまずく時、それは深刻です。人間関係や出来事につまずく時、神を見失わなければ、それはまだ耐えられる。でも本当の躓きは、神をも見失うのです。自分の生きている意味や、幸せへ歩く力を見失い、教会はおろか、神への信仰から落ちるのです。
そんな弱い人間に対し、イエスは厳重に注意し、また決意します。「決してわたしはあなたをつまずかせたままにしない。決してあなたを神の命から落とさない。」そうして神は人と一体となって結ばれ、十字架の躓きまで人と一緒にいて、すくい上げて下さる。
つまずく子を抱く父なる神の右腕。それが受肉のキリストで、あなたに触れる存在です。