苦しみの現実をありのまま受容するのは大変困難です。事故や病気、障害や死、不運や理不尽。目が覚めれば夢だったら、、、と思う。
私にとっては受容しがたい現実の一つは、孤独な初任地で患った精神障害との闘病
生活です。そのなかで、もっともっと働きたいのに。ストレスに弱い自分が悪いのか?人事が悪いのか?「資質が疑わしい」のか? こんなはずじゃなかった、、、。とで自分の枠組みで思う。
紀州の里山で休養していたそんなある夜、空一面の星空が、1歳の子を抱えた私に語りかけた気がしました。「誰も、資質があるから、牧師なのではない。みんな、わたしが、神の枠組みで、恵んで、力を与え、用いるんだ」と。
その輝く神の枠組みの中で私はどこにいるのか分からない。苦しさも消えない。でもその夜、ありのままの自分を「私を用いて下さい」と神に委ねました。「あなたの願うように」と。
生きる苦しみをそのまま受け止め、神の枠組みに入れるため、イエス様は弱さの中で死なれました。それが命へとつながる道です。