過激な発言です。この世は一切無駄だと言うのでしょうか。いや、ちがう。神の言、メッセージ、全ての存在の意味であるキリストは、この世の肉なる人間を愛し、救い出すために、自ら肉となって私たちの間に宿られました。
だからここは「肉だけでは」という意味だと思います。そして"霊"とは、全ての存在を生かす「命の与え主なる聖霊」です。
聖餐の血と肉も、自分の肉体も人生も、教会や結婚のようなこの世の営みも、それだけでは決して神の命に導いてくれない。逆に苦みや躓きのほうが多い。肉なる存在を神の命に生かすのは、この世の何ものでもなく、神である聖霊によって、イエス様を通してです。
戦国•江戸時代の何万人ものキリシタンは、秀吉や徳川から信仰を捨てるように迫られ、拷問され、順番に処刑されても、決して「魂を救う信仰」を捨てませんでした。この世の、全て肉なる存在の創造主こそが、私たち人間を救うんだ、生かすんだ、天国へ導くんだと最後まで信じて疑わなかったのです。
この世の肉なる苦しみの時にこそ、この過激な発言を信じ「決して離れない」と何度も何度もイエス様にしがみついていきましょう。