アンドレイ・ルュブロフ「三位一体」 |
「栄光ある三位一体」
(三位一体主日特祷)
「パパ」とわたしのことを呼んできた息子が、日曜学校のあった晩に、こう宣言しました。「おとうさん! パパは ヨナの、おとうさん!」 「はいそうです。 こんなんやけど、パパはヨナのお父さんだよ!!」と言って、驚きました。自分が父を呼ぶのと同じように息子に呼びかけられました。そうして初めて、父親としての私の人格が呼び起こされたのです。「父」は「子が」いてはじめて「父」なのです。一人の人格は関係性のなかでのみ、存在するのです。 「三位一体」は難しい神学概念でも「しちみとうがらし」の薄味でもありません。(読みは、さんみいったい、でなく、さんいいったい。)三位の「位」とは「人格」という意味です。 イエスが「アバ父よ」と親密な裸の心で呼びかける父と子の人格関係、それこそ神の存在だ、という信仰告白です。父と子と聖霊の関係性こそが神の存在。逆に言えば、人格関係の無いところには、愛することも、赦すことも、神も存在しないのです。神は、人格関係をもたずに孤独のうちに存在してはいない。 子と聖霊は、父の両腕として、祈るあなたを抱きかかえます。父と子の人格関係の真ん中に、あなたは聖霊によってサンドイッチしてもらえます。そしてキリストの一部として、一緒に「アバ父よ、おとうさん」と呼びかけることが赦されているのです。 この関係性と交わりの神こそ、三位一位の神です。そして人間は祈りとサクラメントでこの神と一体になり、様々な人間関係ごと、キリストの体として新しく生かされるのです。 |