キリストの手足

2012/05/13

キリスト 聖餐式

 目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。(1ヨハ4.20)

「最後の晩餐」パスカル•ボウヴェレ(-1929)


ずいぶん待ったうれしい聖餐式です。御言葉に聴き続けて一月ぶりにキリストの体にあずかります。目に見えて、五感で感じるほど近く私たちはキリストと一つになります。キリストの体を食べて、今度はわたし達自身がキリストの体になります。


イエス様の体は、復活して弟子達に現れたあと「天に昇った」と言います。人の目には「見えなくなった」とも言えるでしょう。普通の人間の体なら、腐ってしまうので焼いて灰にします。しかしイエス様の体は復活した後、見えない天に帰った、というのです。「魂が帰る」のなら少し分かる気がしますが、一体、その昇天した御体はどこにどのようにあるのでしょう。


答えは自分達自身です。天に帰るキリストは見えなくなります。しかし、その代わりキリストは、今ここにいる私たち人間を、ご自分の体とされます。聖餐式で、キリストは信仰者を、ご自分の体とされます。


教会員はキリストの体です。信仰によってキリストの手足となり、この世で生き、愛し、働き、祈ります。神は聖霊によって一人の人間となりました。同じ様に今度は、聖霊によって一人の人間を神の体とされます。あなたはキリストご自身の体です。だから何時でも何処でも、キリストはあなたと一体です。同じ一つの体なのです。これは大いなる安心です。






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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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