2012年3月11日 大斎節第3主日
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「神殿清め」ジェームズ・ティソト、ブルックリン美術館、NY |
「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」(ヨハネ2:17)
「あんたはいつもやりすぎやねん…」と母によく諭されました。野球するなら四六時中野球、勉強するなら夜も寝ず、信仰を見つけたらそれ一筋。わたしは、そんなよく言えば理想を追い求める集中力、悪く言えば視野が狭くて執着しやすい性格で生きてきました。だからこそ達成できた喜びもあったし、陥る苦しみや人間関係もありました。
理想主義的に神殿を清めて改革し、その結果殺されていくイエスは、そんな性格の、しかしもっと純粋で良いところだけの人だったのだと思います。父の家、つまり父の愛する人々が、父なる神との繋がりを忘れ金儲けばかりしている。それが許せなかったのです。当時の人ならだれもが受け入れていた妥協を、「まあいいか」とせず、縄を持って清め、皆の嫌悪を買い、神との関係を説いたのです。普通の人なら「自分がもたへんから、もうやめよ」というところを、イエス様の「熱意」は突き進んだのです。十字架で自分の体が破壊されるまで。
復活の神は、様々な限界によって絶たれた人と神との繋がりが、神の癒しの力によって再び起き上がって成就することです。